頑張りすぎる子がこだわる意味がない皆勤賞、その罠と連鎖とは?



褒めて育てよう、というモットーが日本の子育て習慣に浸透して、もう15年以上になるのでしょうか?長女がまだ赤ちゃんの頃、「頑張れ!」という言葉を「頑張ってるね!」の褒め言葉に変えてみて、という子育て本に囲まれて、私も子育てをしてきました。

でも、私自身が、いい意味ではない「頑張り屋さん」だったので、子育てが半分終わった今なら思う。この二つの言葉はちょっと認めてもらえているかどうかだけの違いで、頑張りすぎる子にとっては大きな足かせになっています。

そんな意味がない、頑張りすぎる母親(私)の子どももまた、頑張り屋さんになってしまうんです。

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なぜ、褒め言葉が足かせに?

頑張りすぎる子は、自分の得意、不得意に関係なく、「頑張り屋さんだね!」と認めてくれる人の期待に応えることだけに焦点をあてているから。

褒められたら、次の褒め言葉に向かって突き進みます。逆に褒められなかったらどうしようという焦りさえ感じながら、また頑張るんです。だから、自分の苦手なものもなんとか克服しようとして、褒めてくれる「その人」のために全部ができる子になれるよう頑張るしかないんですね。

「頑張ってるね」という褒め言葉は、時と場合とその子の性分で気をつけて使わないと、頑張り屋さんにとってはただ苦しいだけなんです。

「皆勤賞=善」という怖い刷り込み

そんな頑張りすぎる子は、体調を崩しても学校や会社を休みません。ちょっとした微熱程度で休もうものなら、「怠け者だ」という刷り込みが完成しているんですね。


そして、最悪なのが皆勤賞


皆勤賞を取れる子は、簡単には休まない「全部」出席した子にもらえるご褒美です。これは、頑張り屋さんなら絶対に取りたい賞なんです。



皆勤賞をもらうために、何が何でも学校に行かなければという思い込みの中で成長していくと、いつしかちょっと体調が悪い程度で休むのは「悪」として、心の奥深くに根付いていきます。むしろ、体調が悪いときには休むということを知らないんじゃないかと思うほど。

でも、もし学童期から皆勤賞に固執しないで、身体が辛いと感じたときに学校を休む選択肢がバランスよく用意されていれば、何が何でも這ってまで行こうとする呪縛から解放されていたかもしれません。

意味がない皆勤賞を目指すよりも、大切な身体を労わる方が先決だったのではないかと、今さら自分の過去や長女の子育てシーンを思い出しては後悔。



私の学童期は、少しくらい体調が悪くても出席する子に、先生は「よく頑張って来たね!」と褒めたものです。

なぜ学校も拘る?受験時の皆勤賞

中学、高校、大学と、推薦で受験をするならほとんどが出席日数を問われますね。皆勤賞なら内申点にポイントが加算されるほど、重視されています。


でも、これって、本当にその子の学校生活での努力を見ようとしているのでしょうか。


面接官が、面接で生徒個人個人の資質を見て力量を把握するには、面接官自身の観察力が重要になってきます。でも、面接官全員が一律に平等な評価をできるわけではないし、ペーパーテストのように明確な数字で表せないのが、こうした目に見えない精神面。

そこで、数値化できる学校の出席日数で0か100かと個人を評価できるのは、面接官にとっては合理的で都合がよく、判断の時短にもなるんでしょう。





だから子どもたちは、たとえ精神的に辛いことがあっても、その優遇制度を利用するかどうかも分からない推薦受験に備えて学校に行かなければいけないと思うし、また保護者も学校からのこうした指導を受けて、必死に子どもを行かせようとします。

大人になっても拘る皆勤賞の罠

ちょっと違う方向に頑張ってしまう子が通知表の評価に皆勤賞という文字を意識しながら大人になると、どんなことがあっても毎日とにかく出勤する姿勢を崩しません。


むしろ、少々の体調不良で休むという概念が、既にもうない。


有休制度が充実しているにもかかわらず・・・。


もしそれが感染症なら、来られた側も迷惑なのにそれにも気づかないふり。


頑張りすぎる人ほど、この呪縛から離れられない。
いえ、そんな考えに縛られていること自体に気づいていないのかもしれません。


子ども時代からの刷り込みは、本当に恐ろしいもの。


だって、給与明細に「皆勤手当5,000円」とあるから・・・(笑)


あ、そうか、毎日行かなきゃ!って、ごく自然に思うんですよね。


もちろん、一般的に有休の範囲内での休みであれば皆勤の対象ですが、どんな形であっても、「休む」という言葉は存在しないんです。

もし、この目に見えない呪縛に捕らわれることなく、もっとラフな気持ちで社会人生活を送ることができれば、ある日突然、心がポキッと折れてしまう大人が減るのではないかと思うほど。



私が新人時代の頃は、少しくらい体調が悪くても出勤する人に、上司は「責任感が強いね!」と褒めたものです。

子どもが生まれても拘る皆勤賞の連鎖

こうして、皆勤したら褒められるという意味がない制度と隣り合わせで社会人生活を送り、そのうちに結婚をして、妊娠&出産をします。
男性なら、最近ではこの後の育児に専念する、頼もしい方が急増していますよね。


そんな、かけがえのない大切な命を授かってさえ、頑張りすぎる人はなかなか休み辛いんです。産休や育児休暇、有休という、ありがたい制度があるにもかかわらず。


だって、


自分は体調が悪いわけではないから。


ピンピンしていて、元気に動き回れるし。


なのに、休んでいいの?


そんな後ろめたさが大きくて、子どもの体調が少しくらい悪くても保育園に預けてしまいます。
多分、午後には熱があがって呼び出されるだろうな・・・と思いながらも。

本当ならば病院に連れて行きたいのに、それができない心理すら働くことがあります。「このくらいならまだ大丈夫」と思って。
後で考えると、手遅れになるケースもあるんじゃないかと思うほど。


だから、子どもは少々体調が悪くても、保育園や学校に行くものなんだと思って、成長していきます。

こうして、意味がない頑張り屋さんの母親(私)の子どももまた、頑張りすぎる子になっていったのです。






これは、なんとかして止めたい連鎖。

このことに気づいたとき、自分には長女のこの「ある意味、危ない情熱」を、別の何かに置き換えてやれることがあるんじゃないかと、思えるようになりました。

頑張る方向を変えるには?

そんな意味がない頑張り方をしていた私の子どもだから、やっぱり長女も常に皆勤賞への強い拘りが。ありがたいことに学校自体は好きなようで、長期休暇中でも学校の友達のことばかりを考えていますが、でも、たとえ発熱していても親に黙ってまで行こうとするのは問題です。

どうせ頑張るなら身体を大切にしないような頑張りじゃなくて、好きなことをとことん頑張ればいいかなと。

もちろん、苦手なことに目を背けてスルーすればいいというわけではなくて、注ぐ力の配分の問題です。



全部を上手くやっていこうとすることほど、肉体的にも精神的にも疲れ果ててしまう。
「褒めてくれる人にまた褒めてもらうための無理」をする必要はないかなと。



そんなに器用な人間ではないので、100ある力をバランスよく配分できればいいと思うんです。



それらが功を奏したのかは分からないけど、今では身体が辛い時には正直に言えるようになったし、だからと言って苦手なことから簡単に手を引くということもない様子。
自分の興味のある分野は別にして、全てに対してあくせくとムキになって頑張るということがなくなった気がします。

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編集後記

私の周囲には、悲壮感に溢れた表情で、毎日必死に出勤してきている人が少なくなくて、そんな方はある日突然姿を現さなくなるんですね。日頃から自分にとてもストイックではあって、それはまた素晴らしいことではあるのだけど。

ただ、一度心が折れると復活するには時間がかかると聞くし、日頃からちょっとズルをするくらいの方が長続きするんじゃないかなと、周囲を見ていてそう思えるようになった今日この頃です。

子どもを変えるには、まずは母親の私が変わる必要があるんだな。

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